最近読んだ本で、展開がなかなか衝撃的だったもの。
湊かなえ「カケラ」
登場人物全員がルッキズムに支配されまくっていてドン引き。
しかもアラフォーがほとんど。
とにかく全員狂ってる。
そりゃ見た目は大事だし、見た目も仕事のうちだと私は思っているよ。
でも、人間そればっかじゃないでしょ?
私は人間は、実に多面的な生き物だと思っている。
外見というのはそのうちの1つの面であって、それ以外にも様々な要素を兼ね備えているのが人間だと思っている。
若いうちは外見という面にとかくスポットが当たりがちで、ついそこばかりに注目してしまうのは仕方がない。
しかし、年齢を重ねていくうちにどうしても外見は衰えるので、段々そこの比重は低くなり、必然的に他の面も見られるようになる。
いい歳をして相変わらず鏡ばかり見て物事の本質を捉える努力をしてこなかった中年たちのイタさといったら。。
人を見る時、人について語る時、自分を見る時、自分について語る時。
一過性の、そのうち鮮度を失うような要素を物差しにしていないだろうか?
時間がたてば、ところ変わればそれほど意味を持たなくなってしまうような部分に注目しすぎていないだろうか?
例えば、
いわゆる偏差値の高い大学に受かりました。
それは努力の証であり、誇りに値することです。
で、40代になりました。
学校を卒業してからの年数の方が長くなってくる年代で、まだ偏差値の話ばかりして、出身校で人を判断していたら違和感ありありでしょう?
18歳時の学力がどうであったかは、10代〜20代の子にとっては大きな関心ごとであってもおかしくはない。
40代にもなれば社会に出てからどう生きてきたかの方が仕事観、人生観、人間関係、金銭感覚等にもたらしている影響が大きくなっている。
似たような例で、
税理士試験に受かりました。
めっちゃ勉強した成果であり、誇りに値することです。
登録して年数がたってきました。
気づけば周りは税理士ばかりという環境で、税理士であることはもはや当たり前です。
いつまでも資格取得のルートの話ばかりしていても生産性は??
資格を取ってからどう仕事に向き合ってきたかの比重は年々増す一方であり、やれ官報だの院免だの、、もうどうでもいいじゃん。
そもそも他人様の個別の事情による選択肢に過度に批評を加えるのは野暮というもの。
人に当てた物差しは自分にも当てられる。
その物差し、もう古くないですか?
というような話をこないだお客様とした気がする繁忙期。